2024年5月19日日曜日

追悼 戸田博監督

2024.4.23 京都にて


公私共に大変お世話になっていた戸田博監督が天国へ旅立ちました。
まだ、信じられませんし、受け入れることができていません。
ただ、少しずつ思いが溢れてきたので、ここに残そうと思います。 先月23日、ゆあさが7本目の出演となる映画の打ち合わせをした。
「こんなイメージの楽曲を作って欲しい」と依頼を受け、既に作り始めていた。
「6月末に撮影、5月末に日程を連絡する」と。
とても元気に、次作の内容について語ってくれたし、とんかつを完食していたし、 ゆあさがイギリスに行くことをとても喜んでくれていた。
5月末に連絡すると言われていたので、電話の着信はまさしくそれだと疑わなかった。
あんなに元気だったのにと、ただただ唖然とする。。。 戸田監督との出会いは2013年、ゆあさがまだ会社員をしながらギターを弾いていた頃。
ゆあさは脱サラしてプロになると決めていた年。 しかし、実際に脱サラなんて無理だなと諦めかけていた。 そんな矢先、戸田監督に声を掛けられ、映画に出演することになった。 映画に縁があるとは全く思っていなかったし、脱サラする一つのきっかけにもなった。 それから6本もの映画に出演させてもらった。 最優秀賞含む数々の映画祭で受賞。 京都の映画祭では、ギターを持ってレッドカーペットを歩かせてもらった。 この10年、打合せ、撮影、映画上映会と演奏のコラボも何度もあり、 ゆあさのミュージックビデオの撮影して貰ったり。 ここ数年は食事をご一緒したり、ご自宅で映画鑑賞したり、泊まらせてもらったり。 グルメで物知りな監督の話はいつも楽しくて、時間が経つのが早かった。 戸田監督は、病院の経営をしつつ、必ず年に一本は映画を撮っていた。 そのバイタリティーは非常に刺激的だった。 映画を一本仕上げるのは、本当に大変だということも目の当たりにした。 しかし、ものともせず突き進む姿、 カメラを持った瞬間から人が変わったように機敏になる姿は忘れられない。 そして、全ての映画において、丁寧さ緻密さ人間味を感じさせる唯一無二の作風。 「本当の芸術はアンダーグラウンドからしか生まれない」 そんな言葉にゆあさは励まされた。
表現者として、同じ境遇であり話題も尽きなかった。 まだまだ監督の作品が観れると思っていた。 たくさんの経験と想い出、監督から頂いたたくさんの物、大切にします。 戸田監督のこと、一生忘れません。 ゆあさを見つけてくれてありがとうございました。 向こうでも、映画をたくさん撮ってください。 新作映画の為の曲、完成させますね。 R.I.P

ゆあさまさや
~戸田監督との想い出~

2014年



2018年






2024年
【福井県から文化賞を受賞された、戸田博監督とお久しぶりの会食】


「moon」Music Video 戸田博監督作品


映画のような人生、
映画のようなお別れ。
残されたものはとてつもなく寂しいです。

あちらでも映画の続き、第二章が始まっているんですね。
監督への御恩は一生忘れません。
沢山の経験と想い出をありがとうございました。

戸田博監督のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

ゆあさまさやmusic office